私はことし70才になる。60才から10年間、年収1000万円をキープしてきた。
60才でリタイヤした人にくらべて1億円多く稼いだことになる。これは大きい。
私ごときが能書きをたれるのはおこがましいが、自営業についてぜひ若い世代に知ってほしいので恥を忍んでお話しする。
私の戦友は郷ひろみさん、竹内まりあさんである。いちども会ったことないけど。
そしてこの正月にもうひとり戦友が加わった。横井明裕さんだ。たまごっちを開発した人である。
共通点は1955年生まれ。ただそれだけ。私が一方的にライバルにさせてもらっている。
そして私は10才ほど先輩の仕事ぶりと健康法について無断で学ばせていただいている。
最も尊敬する先輩は宮崎駿さんだ。
70才の時に最高傑作「風立ちぬ」を製作して引退した?が、80才になって「君たちはどう生きるか」で
アカデミー長編アニメ映画賞、ゴールデングローブ賞、英国アカデミーアニメ映画賞など、大きな賞を総なめにした。
大先輩である安藤忠雄さんも田原総一朗さんも健在だ。
「彼らは特別な人だから・・・」という声がきこえてきそうだが、特別なのは才能であって、体ではない。
体においては私たち凡人も同じだ。ただ、大事なのは気力だ。気力は健康な体からうまれる。なので私は毎日ジムに通う。

生産性をMaxにする
自営業の特典は、誰に気遣うこともなく、自分のペースで生産性をMaxにできることだ。
人間関係に悩むムダはゼロ、通勤時間もゼロ。
だから自営業とFHH(フューチャー・ハイブリッドホーム)とのタッグは最強なのだ!
おっと大事なことを言い忘れた。自営業は家事の合間に仕事をできる。
体力づくり、癒しを織りまぜると新しいアイデアも浮かぶし、仕事効率はさらに上がる。
家事と仕事を交互に行うメリットはそれだけではない。
ひとつの仕事に長時間集中していると、最初の狙いから微妙にずれてくる。
キリがついたところでクールダウンすると自然に軌道修正できる。
だいじなのは「キリがついたところで、」である。
深く深く考えている最中に電話が鳴れば、それまでの熟考は水の泡となる。なので私は電話を取らない。
関係者には「時間が空いたとき電話ください」とショートメールをもらうことにしている。もちろん私も相手に対してそうする。
ちょっと恥ずかしいが、私は妻に癒してもらわないと好調を維持できない。
はたから見ると、要介護5の妻を側において一日中介護しているように見えるらしく「大変ですね」と言われることが多い。
でも、彼女と結婚したのは家事をしてほしいからではなく癒してほしいからだ。妻の癒し力は年とともにどんどん上達してきた。
人生100年時代
人生100年時代が現実のものとなった今、誰もが60才から第二の人生を営まなければならない。
でもまさか40年間も隠居するわけにいかない。だいいち、年金がパンクする。
それに世の中の厄介者として若者に疎まれながら生きるのも忍びない。
ならばいっそ老害になってやろうか?
そもそも老害とは何か? ググってみた。
《高齢者が役職に居座り、新しい世代の登用を妨げること》だそうだ。
自営業には老害はありえない。組織なんぞなく、自分の実力だけで勝負するのだから。
不 安
生涯現役を目指している私にも、「こんな年になって、需要があるだろうか?」という不安がときどき襲ってくる。
そんなときは、《さいとうたかを》や《ちばてつや》を思うようにしている。彼らはすでに80代である。
ジジイが描く、ゴルゴ13は面白くないのか?
ジジイが描く、あしたのジョーは魅力ないのか?
答えはもちろんNOである。作者の年齢は関係ないのだ。
だからあなたも、私も、生涯現役を目指そう。
リングで倒れて死ねば、カッコいいことこの上なし!
AIのこと
AIが人知を超える日は近い。AIに仕事を奪われると不安に思う人も多いだろう。
だから今のうちに、自分の得意分野においてAIにできない部分を延ばしていくべきだ。
では、AIにできないことは何か?
AIには体がない。なので心もない。心は体に宿るからだ。
心がないAIは人に感動を与えることができない。
たとえばゴッホのひまわりを全部AIにスキャンさせて「ゴッホのひまわりの絵を描いてください」と頼めば
たちどころに本物と寸分変わらないひまわりを構成するだろう。でも感動は付いてこない。
できのよい子がソツなくこなすのと似ている。
ちなみにソツとは、《手抜かり、手落ち、ムダ》だそうだ。 味わい深い人間の特徴である。
では、原田マハさんの「たゆたえども沈まず」などゴッホの人生に関する書物をしこたま読み込ませたらどうだろう。
それでも感動は付いてこない。なぜか?
AIには体がないからである。
人は絶望の淵に立ち、どうしようもなく打ちひしがれたとき、暖かい手で背中をさすってもらうとなぜか落ち着く。
ためしにやってみてほしい。じつは私はひそかにやってみた。
手が背中まで回らないので肩甲骨のあたりしか撫でられないけど、効果はあったのだ。
たぶん幼少のころ、無力な私の背中を母がなでて慰めてくれた記憶がのこっているのだ。
泣きじゃくっていた私がだんだん落ち着いて、一日たったらけろっと忘れて次のことに取り組みはじめたことを。
人間には人生があるがAIに人生はない。
ゴルゴ13もあしたのジョーも、作者の人生のたくさんの深い体験が織り込まれているのだ。だから人は感動する。
若い世代の人へ
ここで私は若い人にアドバイスしたい。
生きているといろんなことが起こるが、真っ向から対峙してほしい。
斜めに肩透かしすることもできるが、それでは強くなれない。保身はできても根本的な解決力が育たないからだ。
保身でやりすごせるのは組織に勤めている間だけだ。
60才をすぎて自力で勝負しないといけなくなったとき、斬るカードがない。
カードは、若いときからそのつど集めていくしかない。だから体験は大事だ。
悩んで苦しんでこそ自分だけの切り札が作れるのだ。
私は30代半ばまで悩むほうだった。人生、一歩進むと岐路に立つ。
絶対ダメなことはStop。かなり勝算があるときはGo。
そのどちらでもないときは悩ましい。悩むということは堂々巡りであり、時間とエネルギーのムダである。
同時に機会損失も起こる。
ある日、私は決めた。
絶対ダメなことはStop。かなり勝算があるときはGo。そして、中間もGo!
その日から私は悩むことがなくなった。
中間が多発するので、Go!が多発する。Go!Go!だ。人は私をイケイケと呼ぶようになった。
その結果、問題が多発したが、たくさんのカードを集めることができた。
人生、やってみないとわからないことが多い。
やってみると予測できない展開になったりする。そしてそれを乗り越えたとき知恵をさずかる。
ポケモンじゃないけど、強いカードをたくさん集めた年寄りは強い。
同時にそれは深みとコクのある人柄をつくる。もちろん作品にもにじみ出る。
そんな作品を創ることを、、 AIにはできない。
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