バブルに振り回された2軒目の家


ひょんなことから約4か月間(2022425日~819日)ホテル暮らしをすることになりました。

自宅を3度建てて掴んだ家づくりのコツや裏技、ホテル暮らしから生まれた革命的なアイデアなど、為になるだけでなく、

私の人生を赤裸々に語る、愛と感動の物語です。 いちばんはじめ「優雅な朝食」から順番に読んでいってくださると嬉しいです。


実は2軒目の家は建てるつもりがありませんでした。1軒目の家は遠い将来に理想の家を建てるためのステップという位置づけでしたが、とてもかわいい家で気に入っていたし、なんせまだ建てて6年しかたっていなかったからです。

「お家、査定させてください! 査定だけで結構ですから!」との営業トークに「まっ、売るつもりはないけど試しに」と応じたところ、7800万円の値が付きました。数年前の原価は土地が2000万円、建築費800万円です。

私は、今の家が高く売れても、次に買う土地が高かったら同じことなので、商談を前へ進めませんでした。

2か月して8300万円、もう2か月すると8800万円の提示がありました。

 

私はお金に目がくらむタイプではないので、その点では冷静でしたが、このままだと私は一生この家に住まなければならなくなる。今の家は気に入ってるけど、今、動かないかぎり将来の夢が実現できなくなると思ったのです。

そうです、いったん高くなった土地の値段が下がることはあり得ないと思ったのです。

今考えるとウソみたいな発想ですが、実は日本中の銀行も不動産屋も一般人もそう信じていた、それがバブルというものだったんです。


私は土地を探し始めました。事務所から車で20分ほどで行ける京都市北部の山の手です。

木々に恵まれた高台の70坪もの土地。眼下にはのどかな街並みが望め、見上げると比叡山の木々の枝まで見え、夜になるとケーブルカーの暖色系の明かりがゆーくり動いているのが見えます。「プール付きの家にしようか!」 ← これ、バブルの発想。

 

クラブのおねーちゃんが「ラーメン食べたい!」というと、「味噌? それとも豚骨?」と聞いて「豚骨!」と答えたら、「じゃー今から食いに行こう!」と伊丹空港へ車を飛ばして、博多まで飛行機で行ったという話がまんざら嘘でもない時代のことです。

さすがにプールまではつくりませんでしたが、広いテラスにプールサイド用のタイルを張り巡らせて、そこでBBQをしたり子供をビニルプールで遊ばせたりしたものです。家の庭にテントを張ってキャンプをしたこともありました。

テントで思い出しました。私がオイタをして女房に追い出されたとき、そのテントで一人寂しく寝たことがありましたね。

  

ところで、当時の私は昭和の気質が強く残っており、新たな家には娘への結納を並べるべき立派な床の間がある和室が必要と思い込んでおりました。1軒目の家には並びきれなかった女房の嫁入り道具の巨大な和ダンス、整理ダンス、洋服ダンスの3点セットが一列に並ぶ大きな部屋をつくらないと義理の両親様に申し訳ないと考えておりました。そして両親に泊まってもらう部屋も作りました。

ここまでお話ししただけでも、どれだけ大きな家になってしまうか想像できますよね。

肥大化した家は、夏は2階で寝られないくらい暑く、冬は高野山の宿坊のように寒い。冷暖房をつけっぱなしても効かない・・・とほほ。

私の幼少時代、狭さや人口密度にも苦労したけど、なんといっても辛かったのは暑さ寒さだったはず。あかぎれ、しもやけ、氷が張った洗面器で顔を洗う、火鉢だけが唯一の暖をとる道具だった、江戸時代と何も変わらぬ昭和30年代でした。

それを忘れて舞い上がって、ただ大きいだけの家を建てるなんて、、、バブルのバカ! いいえ、バカは私。責任転嫁もいい加減にしないと。

 

そうしているうちに、住宅ローンの金利が上がり続けてとうとう8.9%になったのです。